斉藤あきら  浦安から、真に豊かな社会への挑戦!

プロフィール

政治の道を志す理由

 

齋藤哲(さいとう あきら)

1980年6月13日 浦安市生まれ(富士見在住)

木の実エベネゼル幼児学校(現:きのみ)

浦安市立南小学校

東邦大学附属東邦中学・高等学校

慶應義塾大学経済学部

NPO法人政策学校一新塾 第27・32・34期

国際医療福祉大学大学院 乃木坂スクール

大熊由紀子先生の講座を単科受講中

 

【主な活動】

2009年 ベトナム ツーズー病院訪問

2010年 インドネシア ダルマジャティ孤児院訪問

2013年 オムソーリ・プロジェクト~認知症から家族を守る 分かち合い社会の実現~ 設立

2013年 浦安市初の認知症カフェ「オムソーリ・カフェ」

堀江地区『路風舎』にてスタート

2014年 政策学校一新塾 第32期 主体的市民賞を受賞

2015年 オムソーリ・カフェの場所を猫実のBran樹へ変更

2015年 千葉県認知症&ケアラーズカフェ連絡会 設立 副会長就任

2018年 映画で地域の絆をつむぐ 浦安から「つむぐもの」プロジェクト スタート

ベイシティ新浦安自治会集会所、正福寺、市民プラザWAVE101にて上映会を開催

【資格】

eco検定(環境社会検定):大学時代から農業、環境を好んで学びました

日本漢字能力検定 2級:字を書くのが好き

認知症予防ファシリテーター3級:地域型認知症予防プログラムを勉強

日本ビール検定2級:第1回試験にて合格、ビールのスタイル、製造方法、歴史などを学ぶ

ビアジャーナリストアカデミー(JBJA8期受講生):ビールで文化・コミュニティを創りたい!

 

生い立ち~

1980年6月13日 浦安生まれ(富士見在住)

東葛飾郡浦安町から浦安市になる前年に生まれました。

幼いころは近所に空き地もたくさんあって、暗くなるまで遊びまわっていました。

ディズニーランドが開園したのは3歳の頃。花火が上がるのを楽しみにしていたのを懐かしく思います。

三社祭(1984年)

【小学生時代】浦安市立南小学校

ずっと強い人に憧れている子どもでした。痩せているのがコンプレックスで、小学校6年生からスクワットを日課にし、いつかはプロレスラーになる!という夢を持っていました。友達に誘われて駅伝部に入ってから、走ることの楽しさを知ったのもこの頃。向いてないと思っても、好きだと地道にやり続けるのは、こどもの頃からの性格のようです。

 

【中学生時代】東邦大学附属東邦中学校

中学から私立へ。陸上部に加入。入部動機は「体を強くしたい」ということだったので、競技大会などには一切の興味を示さず、ただ走っているだけでした。面白いことを考えるのが好きで、ネタを考えては雑誌やラジオに投稿しているような中学生でした。思春期らしく、いろいろと思い悩んでいた時期もあったのですが、当時の校長先生からいただいた教えが、今でも私の心を創ってくれたと思っています。私が2年生の時に亡くなったのですが、校長先生から生徒に勧めた一冊の本は、私の根っこを創ってくれました。

『後世への最大遺物』内村鑑三著

卒業後、カナダにショートステイを経験。

「プロレスラーに憧れているから、レスリングを学びたい」と言ったら、

「日本人なのに、なんで空手をやらないんだ」と小学生に何気なく言われたことで、自分が日本人であることを強く意識するようになった。

 

【高校時代】東邦大付属東邦高校

校内の部活動には加入せず、西船橋にあった極真空手の道場に入門。正直、ここまで向いていないものがあるのか、というぐらいセンスもありませんでした。何とか稽古についていけるようになりたいと、自分なりに基礎体力強化に励み、栄養学やトレーニングを学んで、自分の体で試してみることが趣味のようになっていました。

理系のクラスにいたのですが、文系学部の方に興味を持つようになり、無謀にもセンター試験直前に文系へ転向し、現役の受験は失敗い終わりました。

 

【浪人時代】トフルゼミナール船橋校

浪人するからにはと決意新たに。予備校選びは同級生に聞きまわって、一番良さそうだと感じた予備校に決めました。結果、大正解!一日を共にし続ける仲間がたくさんいて、とても充実した日々を送ることができました。勉強ばかりではなく、たくさんの時間を共に過ごしてきた仲間は、その後にもつながる親友に。親には大変申し訳ないのですが、本気で浪人して良かったと思える、大変有意義な時を過ごしました。

 

【大学時代】慶應義塾大学経済学部

父は、「石原裕次郎の後輩になったな」と喜んでくれましたが、当の私は学業はついていくのに必死でした(笑)環境経済学の講義に興味を持ったのをきっかけに、農業経済論(寺出道夫教授)ゼミに参加。にも拘わらず、卒論のテーマは『武田信玄』。自由なテーマを許していただいた教授には感謝しております。

大学2年生からは国内の一人旅にはまっていきました。無計画に自分の嗅覚を信じて突き進んでいく旅。心の底からワクワクします。高校野球が大好きで、夏の一人旅は関西に長期滞在。たくさんの試合を観戦しました。

 

【社会人時代】金融機関を経て保険マンモスへ

1年目はお給料からコツコツ貯金。エステティックスクールに通うなど、自分探しに模索していた20代。

社会人になる時に定めたルール、「30歳までに道を探す」

学生に混じって海外ボランティアツアーに参加するなどし、ベンチャー企業への転職を決意。お金に困っている人を多々見て来たことから、「お金の失敗を防ぐWEBサービス会社」というキャッチに惹かれ、保険マンモス株式会社に入社しました。朝6時に家を出て、帰ってくるころには日付をまたいでいるような状況でしたが、最初の1~2年はとても充実していました。

【父の認知症診断と一新塾 】

2013年4月。父が「前頭側頭型認知症」と診断される。認知症だからといって、父の人生をここで終わりにはさせない、何とかしたいという一心で、政策学校一新塾の門を叩きました。そんな時に出会った一冊が私の背中を押す。

『寝たきり老人のいる国いない国~真に豊かな社会への挑戦~』(著者:大熊由紀子)

1990年以前の取材を元に書かれた本なのですが、デンマークやスウェーデンといった北欧諸国は、現在の日本よりも人間の尊厳を大事にする文化は進んでいると感じ、理想としていくことを決めました。

プロジェクト名の『オムソーリ~omsorg~』は、スウェーデン語で「かなしみを分かち合う」という意味を語源に持つ、「福祉」・「介護」という意味で使われている言葉。この言葉をプロジェクトの理念として活動をスタートしました。

「認知症になってもそれまで通りの暮らしができる社会にしたい」

一新塾で出会ったメンバーと3人で立ち上げたプロジェクト。メンバーで現場視察を重ね、平日の仕事前、朝7時からスターバックスの銀座マロニエ通り店でミーティングを重ねました。

 

浦安市初の認知症カフェ『オムソーリ・カフェ』誕生

認知症の方の居場所として、介護している家族の息抜きと情報を得られる場。『認知症カフェ』を知ったのは2013年9月。当時は認知症カフェを運営しているところが県内に見つからず、目黒区のDカフェラミヨという認知症カフェを視察。私たちの理想としている活動はこれだと確信し、認知症カフェを浦安で誕生させると決意しました。

堀江フラワー通りの『路風舎』。古い不思議な平屋の戸建で、季節を感じる庭木。どこか懐かしい、落ち着く雰囲気。2013年12月22日、オムソーリ・カフェを路風舎でスタート。「スタートするからにはやり続ける」というメンバーとの約束。月に1回というペースで、現在も場所を猫実の『Bran樹』に移して継続しています。

現在は認知症カフェは浦安市内に6カ所を数えるようになり、浦安市認知症カフェ連絡会というグループで情報交換や運営の協力なども行っています。

 

千葉県認知症&ケアラーズカフェ連絡会の立上げ

2013年にオムソーリ・カフェを立ち上げると、認知症カフェを立ち上げたいと視察に来られるかたが相次いでいらっしゃいました。千葉市の認知症カフェに運営者が集まったのをきっかけに、定期的に情報交換をするようになりました。私たちの認知症カフェ運営上の悩みや経験は、これから認知症カフェをやりたいという方の背中を後押しできるのではないか、と始めた認知症カフェフォーラム。年に1回の開催をしていますが、千葉県各地から毎回100名近くの方が参加されるようになりました。

認知症カフェの一覧表の作成、認知症カフェをインターネットの地図で検索できる「認知症カフェMAP」なども手掛けています。オムソーリ・カフェの代表として、これらの活動にも立上げから携わっています。

 

 

 

 

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